統治不能
あまりに無策無能ぶりすぎる政権に、ほとほと愛想が尽きて、ブログの更新が途絶えてしまいました。すんません。
さて、コロナの状況は、連日テレビや新聞などで目にする通り、悪化の一途をたどっている。
政府は、「ワクチン接種を進めるのが一番」と掲げながらも接種率が急加速しているようにも見えず、その間にコロナ陽性者が急加速してしまい、あげくの果てに国民の命を守る義務があることさえ忘れたのか、「自宅療養が基本」とまで言い始めた。
完全な責任放棄だ。
病床数が足りないのであれば、プレハブなども総動員して、臨時の仮設コロナ病棟を作れば済むことだ。だいたい。この1年半、政府や厚生労働省は何をしていたのか、全くわからない。
なんでも同じだが、民間企業ではPDCA(プラン・ドゥー・チェック・アゲイン)の原則でプロジェクトを進める。
まずは、プラン作り。どのようなことをすればどうなるか、を綿密に議論し、プランを作り上げる。今回で言えば、目標はコロナの収束であるが、完全収束は無理だろうからある程度までの陽性率に留めるための方策作りだろう。菅政権は、この部分はワクチ接種が一番と考えたはずだ。接種率が最低でも60%くらいになれば、経済活動も条件付きで再開できると思うのも無理はない。そして、並行して治療薬開発に注力をそそげば、死亡率もかなり抑え込めるはずだった。現に、抗体カクテル療法や経口薬の開発などが挙げられる。加えて、人流の抑制も基本のはずだった。
さて実行(ドゥー)してみたら…
なぜか、ワクチンの数量が足りない。
人流の抑制も、非常事態宣言を発令する状況にもかかわらず、東京オリンピックを強行した。国民には、あれもこれも我慢してね、といいながら海外からオリンピック関係者が入国。直接的な感染はどうかはしらないが、このおかげで、国民の考えは「非常事態宣言をしてもオリンピックはやるのだから、そんなに非常事態でもないんじゃね」的な空気になった。挙句の果て、バッハ会長は最終日に銀座を散策。それを丸川名ばかり大臣などは「ご本人が決めることだから」と逃げる。それを聞いた国民も「やっぱり、そんなに大変なことじゃないでしょ」的な心理になる。
これを教訓に再実行(アゲイン)しても、既に非常事態宣言を何度も出していたら、国民は素直に聞く耳は持たない。狼少年が良い例だと思うが、きっと上級国民の方々は、幼い頃に童話を読まずにお育ちになったようで、この例を知らないのだろう。
私の業界でこのようなプロジェクトは、通称「猛火のプロジェクト」と呼んでいる。このような猛火のプロジェクトを立て直すには、残念ながら、現在のプロジェクトに関わっているメンバーを総入れ替えする以外に方法はない。
でも、できなければ…
これも残念なことだが、犠牲者(国民の死亡者、感染して後遺症が残った方)をたくさん出して、自然の摂理で減少することを待つだけだ。その頃には、治療薬も出ているだろうが、恐らく薬価は高く、しかし国にはお金も無く、もちろん健康保険でもまかないきれず…
悪いことは言わない。今すぐ、プロジェクトの再立ち上げをしてやり直すことだ。
パラリンピックも延期論や中止論もあったのに、まるで何事もないかのごとく、観客を入れようか、などの論議にすり替わっている。非常事態だといいながら、こんな、国民を騙す方策を、当たり前に、しれっとやっている方々には、コロナとの戦争はできない。
統治不能で犠牲になるのは、私達だ。忘れてはいけない。